8月30日、「平和講座」part5が開講しました。この講座は2011年にスタートした「戦争と平和を学ぶ講座」の第5弾で、戦争の悲惨さと平和の大切さを次世代に伝えるため、歴史や憲法、現在の問題などを市民レベルで学びあう講座です。今回は、10月11日までのフィールドワークを含めた7講座で構成。市民講師の講話と参加者間のトークなどで学びを深めます。
第1回は戦争展実行委員の加藤善夫さんが「アジア・太平洋戦争について」と題して講演。冒頭、「近代日本の戦争を考える場合、幕末、明治維新以降の戦争の思想的背景などを捉えておかないとその後の戦争の本質を見誤る」と述べ、本論に入りました。
まず1894年の日清戦争から日露戦争、第一次世界大戦、満州事変、日中戦争、最終段階の1945年の敗戦までを概観し、日本がほぼ10年おきに大きな戦争を起こしたり関わっていることに触れ、「その背景には日本の近代化への歩みがある。欧米の帝国主義をまねて隣国への力づくの政策をとったが、日本の膨張主義・侵略主義は幕末にあった。明治政府が隣国の朝鮮、中国を未開と見下し、力づくの政策をとったのは、伊藤博文や山形有朋などが師である吉田松陰の思想を受け継いだため。松蔭は『朝鮮を攻め、北は満州の地を割り、南は台湾・ルソン諸島を収め』と領土拡張を説いていた」と説明し「このことは、明治以降の戦争を見ていくのに非常に重要」と指摘しました。
また、「日本の近代の戦争では、謀略から戦争が起こされている」とし、1875年の江華島事件を例にとり、「日本が意図的に衝突事故を起こすなど、わざと事を起こして原因を作り、朝鮮との不平等条約を取り付け、そこから日清戦争につなげていったことが、近年の新たな研究で明らかになっている」と説明、「政府や軍部の謀略で戦争が引き起こされ、新聞などの情報は統制され゛正義の戦い゛と国民には刷り込まれ、さらに戦争が拡大されていった」と述べました。
さらに、「日本はなぜ昭和の長い戦争に突入したのか」について、「特に日露戦争が重要。朝鮮と中国東北部(満州)を戦場とした日露戦争で、日本は十分な火器が準備できず、膨大な8万人もの犠牲者を出す銃剣での白兵突撃で勝利した。5年後韓国併合が行われ、アジア大陸侵略の歩みが強まっていく。血であがなっだ満蒙特殊権益゛を引き継ぐため、満州の地に関東軍を置き、満州は゛聖地゛となり、軍部だけでなく国民にも『満州への執着心』が生まれ、民族運動(反日運動)が盛り上がれば、さらに満州の利権を守ろうとし、満州事変へと暴走した」と解説し、「日露戦争は中国との戦争のもとになった。これがなければ15年戦争は起らなかった」と強調しました。
後半では、日本が満州全域を抑えても、これで終らず、1937年日中全面戦争に突入、その後侵略は泥沼化し、米英との対立から、1941年第3段階の戦争に拡大した経緯を示し「東南アジアでの日本の最大の目的は『資源獲得』。白人を追い出して富み栄える戦争という゛大東亜共栄圏゛は偽りだった」と指摘、『太平洋戦争』の呼称については「日本軍が、ハワイの奇襲前に現マレーシアのコタバルに奇襲上陸していることを考えても、『太平洋戦争』ではなく、『アジア・太平洋戦争』が正確な呼称といえる」と述べました。