9月13日の「平和講座」第3回は、戦争展実行委員の牧野晃一さんが「憲法の誕生と変遷」と題して講演。「平和憲法は、アジア太平洋戦争で多くの犠牲者をだし、二度と戦争を起こしてはならないという考えから生まれた」と語り、その誕生の経緯から今日までの変遷、現在の憲法問題について解説しました。
牧野さんはまず、ポツダム宣言受諾後、GHQによる憲法改正作業の経緯を示し「政府案(松本案)は最も明治憲法に近くポツダム宣言に矛盾するもの。GHQは各政党、民間の改正案の中から憲法研究会の案に着目、この案に加筆し、政府に提案。政府は更に加筆して政府案として帝国議会に提出し、衆議院と貴族院の審議を経て、加筆修正し成立。日本の国会が最終決定した」と説明し「憲法の押しつけ論が今また出ているが、この経過からもわかるように議会が最終決定しており、明らかに押しつけではない」と指摘しました。
さらに、帝国議会における「政府案」の主要な修正点をあげ、「前文の修正で『主権が国民に存すること』と明記したのは大きい」としたほか、「第1条には『国のあり方は国民が決めるもの』とあるが、案外知られていない。もっとアピールすべきだ」と述べました。
続いて現在、多くの憲法学者らが「違憲」としている集団的自衛権について、衆院憲法審査会での4人の憲法学者の発言や、審議中の特別委員会での閣僚らの発言を対比させ、「安保法制の全体像をどこまで把握できているのか疑問。なぜ重要な法案を10本もまとめるのか、アンフェアなやり方だ」とし、周辺事態法を例にとり「重要影響事態法としているが、時限立法の特措法で対処してきた日本に、自衛隊をアフガン、イラクさらにアフリカへ行ける様に、しかも時限立法でなく、いつでも、どこでも使えるものを作れと米側に言われ、国民が知らない間に約束してきたことが国会で明らかになったが、これは大変な問題。国民の前に明らかにして、国民に判断させてもらいたいが、それをさせない。こんな状況に言葉を失う」と語気を強めました。
後半は、第二次大戦後の国際政治の流れを示し、東西冷戦時代、湾岸戦争以降の世界の流れを概観し、「70年間平和主義の日本は信頼度が強まったが、日本の政治は国際政治に振り回されてきた。特にアメリカとの関係が問題」とし、「アメリカは米軍再編で日本に協力を求めてくる。この戦略に自衛隊が組み込まれる。日本は゛いや゛と言わない。しかし、要求に答えるには安保条約を変えなければならず、最後の手段として、安保法制の大転換となった。国民の審判を受けないでやろうとしている」と警鐘を鳴らしました。