[中国人殉難者慰霊碑]
9月27日の「平和講座」第5回は、講座初の試み、フィールドワーク「富士市内の戦争遺跡めぐり」を実施しました。同日は20人が参加し、今年富士市の「核兵器廃絶平和都市宣言」30周年記念事業として市が作製した「戦跡マップ」をもとに、中国人殉難者慰霊碑をはじめ、開拓記念碑、大芝裁縫女学校跡、愛宕山平和祈念碑周辺など6か所を巡りました。
同日は、ロゼ北側駐車場から車に分乗、各戦跡の解説は、戦争展実行委員の加藤さん、土屋さんが担当しました。まず市内中丸共同墓地内の中国人殉難者慰霊碑を訪れ見学。この慰霊碑は戦争中、当時の東条内閣が労働力不足を補うため中国人4万人を強制連行し、このうち504人が富士飛行場建設に連行され、過酷な労働と乏しい食料で52人が栄養失調、肺炎などで死亡、その慰霊のために1990年に建立されたもの。毎年7月に市長も列席して慰霊祭が行われています。
[愛宕山の平和祈念碑]
続いて富士南まちづくりセンター敷地内にある開拓記念碑、次に水戸島元町の大芝裁縫女学校跡地に立つ記念碑、更に旧富士川町室野(むろの)・愛宕山(あたごやま)山頂の地下壕と記念碑へ向かいました。この日は前日が雨天だったため、愛宕山山頂への登山は取りやめ、途中の山道でのミニ講座を行いました。
この後、富士川楽座付近から実相寺まで戻り、境内にて東京から実相寺に集団疎開していた児童らの写真資料も含め、戦時下の学童集団疎開の実情を聞きました。
[燃料倉庫の洞穴]
次に、当時富士飛行場の建設にあわせ、航空機燃料の油を保管する倉庫として掘られた岩本山西麓の洞穴を見学。洞穴周囲は樹木が生い茂って洞穴そのものが見えにくくなっていたため、「見学するためには、もう少し整備が必要では」の声も上がりました。
最後に訪れたのは「富士にも空襲があり、被害もあった」という旧鷹岡町から中桁(旧吉原町)にかけて数発爆弾が投下された場所。この爆弾投下で神社近くの家が全壊し、家にいた家族全員が死亡、神社には破壊された鳥居の一部が残されていました。
今回訪れた戦争遺跡6カ所は、今年富士市の平和都市宣言30周年記念事業の一つとして作製された冊子の中に「富士地域の戦争遺跡」としてマップと共に紹介されています。